言葉にできない

実は小田和正も好き

板の上で戦う者たちについて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すでに記事を書いたが、わたしはHiHi Jetsが好きである。HiHi Jetsのみならず、他にも多くのエンタメに手を出しているのはTwitterを見ていただいている方には自明であろう。突然知らん界隈の話題をRTするもんだからさ…。その中のひとつがCreepy Nutsである。

 

Creepy Nutsとは、今飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍しているHIPHOPユニットだ。作詞・歌唱を担当するR-指定と、作曲・編曲・DJプレイを担当するDJ松永の2人でCreepy Nutsだ。ちなみにわたしがTwitterで彼らの名前をハッキリと出さないのは、DJのほうがエゴサの鬼だからである。しかしエゴサの鬼ゆえに、検索避けの単語すらも検索する徹底ぶりなので、わたしのアカウントすらも見られている可能性がある。が!ブログは読まない!でしょう!たぶん!!!

 

Creepy Nutsは色んな魅力があるのだが、その中の一つが楽曲である。そりゃそうだ、HIPHOPアーティストなのだから。

その楽曲の良さとか唯一性とかは様々なメディアで取り上げられているので割愛する。あくまで、ここでわたしが言及したいのは、Creepy Nutsの楽曲とHiHi Jetsの親和性についてである。まあ、簡単に言うと、「あ〜あ、HiHi Jets、『板の上の魔物』と『バレる!』歌ってくんないかな〜(ゴロゴロ〜)」というわけだ。

 

 

①板の上の魔物

 

前述の通り、わたしはエンタメ全般が好きなのだが、なぜエンタメが好きなのか、という理由がこの曲に詰まっていて、最初聴いた時は鳥肌が立った。今も立つけど。一見煌びやかに見える世界だが、その裏側では色々なことと戦って、時には残酷なものも目にして、そうして出来上がってる世界だと考えている。光と闇とか、そういうものを抱えながらも、それでもステージ上に立つことはやめられない、と歌うこの曲は、わたしの理想というか、答え合わせというか、なんというか、そういう曲なのだ。語彙力なんて備わってない。

戦って、苦しむ姿こそがエンタメだと思っている。それを体現してくれたこの曲と、一番好きなエンタメであるHiHi Jetsの組み合わせは、合わないワケがない。

個人的にこの曲はHiHi Jetsに歌ってほしい、というか、ステージ裏ドキュメンタリーのMADとかで流してほしい。こんな風に。

 

と言って去年のM-1のPVみたいな最高の動画のリンクを貼ろうと思ったら動画自体消えてました…。悲しみ…。またどっかで会いたいな…。

 

 

②バレる!

これは!!!!!歌って!!!!!ほしい!!!!!!

 

板の上〜とテーマとしては同じような、ステージ上で戦う人間の姿を描いた曲なのだが、こちらのほうが「ちょっと天才でごめんね(笑)」という雰囲気がある。何を隠そう、わたしは自覚的な天才が大好きなのである。大好きなので太字にしてみました。謙虚も時にはいいことだと思う。しかし、自分で自分のこと凄いと思うのなら、そう言ってほしい‼️そうだよ!って言うから‼️‼️(?)

つまり、自分のことを客観視できる人間が好きなのだ。客観視できるのは賢い証拠だと思う。そして、わたしがHiHi Jetsを好きな理由の1つにも、「自身を客観視することができるから」がある。HiHi Jetsは自覚的な天才集団なのである。自分で言ってて最高すぎて目眩がしてきた。個人の感想です。

 

さて、具体的に歌詞を見ていきたい。

 

バレる!

この俺の天賦の才が

バレる!

マジこれ面倒臭いな…笑

 

早速サビです。えっ、ヤバ。「笑」が入ってるのマジでヤバ。自覚的な天才の最上級の表現法だと思いました(小並感)。

HiHi Jetsの持つ上昇志向って、一癖あると思っていて、「思っていて」とか言って、掲げる目標として①国立競技場でライブ②ビルボード1位③ノーベル平和賞受賞を挙げてる時点で一癖しかないだろ。そういう言っちゃえば偏屈なところが好き好きポイントの1つなのですが、何が言いたいかと言うと、上記歌詞の偏屈さとHiHi Jetsの偏屈さの波形は重なるところがある、ということです。是非HiHi Jetsには世間にその才能がバレた暁には、「めんどくせ〜笑笑」って言ってほしいですおねがいします。

 

俺を分かってくれと叫び

世に知らしめたばかりに

自分で自分をより自分らしく演じなきゃいけない羽目に

 

ここがめちゃくちゃ好きなんですけど、上手く表現できない自分がもどかしい!!!!!ステージ上で戦う人たちってある程度自分を演じてると思うんですよ。それこそ以前矢花が言っていた「自己像」と「理想像」的な話になるんですけど。一枚メディアを挟んでいる以上、わたしたちは"本当の"彼らを知ることは出来ない。メディアの隙間から垣間見える情報を受け取って、「彼ら像」を作っていく。わたしたちの思う彼らと、彼らの思う彼らは異なるものなのだ。

この歌詞は、わたしが猪狩くんに持つ感情の一つが書かれているからこそ好きなんだと思う。その感情とは、「『自分で自分をより自分らしく演じ』ないでほしい」だ。猪狩くんはわりと攻撃力のある言葉を放つイメージがあるのではないだろうか。みんなその猪狩くんが好きだし、実際わたしも好きだ。Fence大好きじゃんみんな?でも本当の猪狩くんはそう思ってないのに、「みんながFence好きだから」っていう理由で、Fenceっぽい曲を書かなければいけない!って思ってないかな、と思うことがある。

猪狩くん自身がそう思っているかどうかはわからない。しかし、そういったことで、実際に苦しんでいるCreepy Nutsは存在する事実が、わたしが想像していたこと=自分で自分を演じているのは本当だったんだという感動と、そんな苦しみを猪狩くんも感じてるかもしれないという可能性、そしてもしそうだとしても自分は何をすればいいのかという混乱…。そういう色んな感情が押し寄せるこの部分が、簡単に言うと「めちゃくちゃ好き」なのです。

 

 

この曲はもちろんマイナスな感情も描いてるけど、基本的には強気だと思ってる。自分のこと天才だと思ってて、それが「バレちゃうな笑 めんど笑笑」みたいなスタンスだからだ。しかし、わたしの経験則、強気な態度というものは弱気な部分があるからこそ出てくるものだと思っている。弱気な部分を隠すためにこそ、強気に出ていくのだ。強気なんだけど弱気、弱気なんだけど強気。とっても矛盾している。だけど上記2曲はどちらもそうだ、強気な一面と弱気な一面、どちらも描いている。弱気と強気は表裏一体なのだ。だから、同じ人間とは思えないくらい輝いてるアイドルだが、そういう強気な態度を見ると逆に弱気な部分を想像してしまって、人間みを感じ、アイドル=非人間(仮)と人間の共存という発生する矛盾に、彼らを愛さざるを得なくなってしまうのである。

 

板の上での戦いは、そこに立ち続ける限り終わらない。命を削ってるからこそ、彼らは煌めいてみえる。あのキラキラは命の欠片なんだと、わたしは思っている。想像してみてください。命を削って、キラキラしてて、ボロボロになっても、不敵な笑みを浮かべて板の上の魔物に立ち向かう。どうですか。HiHi Jetsがぴったりでしょう?

 

 

 

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