SNS時代のアイドルについて
自己像と虚栄像の差を埋めようと、あちらから近寄ってきてくれる、矢花黎とかいう最高アイドル
— いときち (@sleep2102) 2021年5月27日
「さあブログを書くぞ🎶」って時に自担より先に別のアイドルの話をしてごめんなさい。ホットな気持ちはホットな内に書いておきたいんじゃ。
ということで、当方、矢花黎にハマっております。
(以降は敬意を込めて矢花と呼ばせていただきます)(敬称略)
矢花になぜハマったのか、いつからハマったのか、どういう感情を抱いているのか書きたいところではありますが、それはまた今度とさせていただきます。今回このような記事を書こうと思ったのは、何を隠そう、矢花のブログを読んでしまったからです。あの内容に自らの意見を述べたくなってしまったのです。本人が望んでいるので僭越ながら、本記事をツイートする際はハッシュタグを使用させていただきますが、決して読んでほしいわけではありません、いや、やっぱり読んで…いや、読まないで…恥ずかしいから……。いや、どうせ読まれない‼️なぜならここは太平洋よりも広い海の中だから‼️色々許してください‼️‼️
わたしがアイドルについて考察を述べるとき、考えの元となっているのは『アイドル/メディア論講義』という本である。
ざっくりいうと、メディア論の視点からアイドルを定義づけるものとは何かについて書かれている。これから書く文章はこの本の受け売りであったり、そこから派生している考えになります。
わたしがあのブログを読んで、アイドル本人が自己像と理想像を近づけようとしていたということに衝撃を受けた。自己像と理想像を近づけようとするのはファンのほうであると思っていたからだ。
アイドルとファンの間には、1枚、窓がある。テレビであったり、雑誌であったり、舞台・コンサート、ラジオもそうだ。なにかメディアを挟まなければアイドルを見ることはできない。そのメディアのことを窓と表している。窓を隔てている限り、わたしたちの知るアイドルはあくまで「窓越しのアイドル」であり、アイドル本人のその中(=矢花でいうところの自己像)を窺い知ることはできない。しかし、見えないものを見ようとするのがファン心理である(天体観測?)。窓越しにも、その自己像の片鱗を探そうとする。「本当はどんな人なのか」を知りたくて雑誌を読んだり、表情を深読みしたり、底辺まで行くとストーカー行為に及んだりするのだと思う。
即ち、アイドルという存在は「自己像と理想像を乖離させることによって、人々に多くの理想を与える存在」だとわたしは考える。即ちってる?この文章?大丈夫?文章ごちゃごちゃしがちなのは許して、フィーリングで読んで、ブログ書くことによってそれを治そうとしてるから。
では矢花の目指す「自己像と理想像が近づいている存在」とは何なのか。わたしはそれはYouTuberだと思う。とことんまで素を曝け出し、彼らは理想もへったくれもない。わたしの推してるYouTuberは彼女ができたらすぐ報告するし、住所もほぼバレてるし、自身の性行為についてだって事細かに話す。しかしファンはついているのだ。アイドル化するYouTuberについても考察を巡らせたいところだが、つまり矢花はアイドルの中でもYouTuberに近い存在なのではないだろうか。だから何?って話だな我ながら。ここの考えは徐々に詰めていきたいと思います。
なぜ矢花が自己像と理想像の乖離に苦しんでるか、わたしには分かりようがない。しかし良いイメージだけでなく、悪いイメージが蔓延してるとしたら、たしかにそれは嫌よね。ただ矢花の言う通り、自分のしたいようにしていけば、理想像は勝手についてくるものだと思う。大抵のオタクは自担にすくすく育ってもらいたいと思っているものだから、気にせずそのまま突き進んでほしい、と思う。
■今日のまとめ
・そもそも自己像と理想像が乖離しているからこそアイドルである。理想像を自由に操ることができる点がアイドルたる所以なのではないか。
・自己像と理想像を近づける=なるべく素を見せるならそれはYouTuberなのではないか。まあYouTuber的だからこそ矢花は輝いているのかもしれない。
・矢花がなぜ自己像と理想像の乖離に苦しんでいるかはわたしには分からない。別によくね?とも思うけど、良いイメージでなく悪いイメージが蔓延っているならたしかにそれは嫌よね。
・でも矢花のいう通り、自分のしたいようにしていけば、理想像も勝手についてくると思うよ。
・というかそれを話してくれることに、矢花という確立されたアイドル性を感じる。唯一無二のSNS時代のアイドル、最高だよ。
長文書くと話があっち行ったりこっち行ったりすることが悩み。たぶん一貫性のない文章だと思う。あえてコンプレックスを曝け出すことにより、自らの成長を促したい。わたしの成長のためにこの記事を読むという犠牲になってくれた方全てに感謝と謝罪を。
更新について
詰まるところ、わたしはジャニーズになりたい。
高校のときから自分の文章を褒めてもらうことがあって、それが凄く嬉しくて何か形にしたいなって常日頃から思ってるんだけど、何せ長文が数日に渡って書けないんスよね
— いときち (@sleep2102) 2021年5月22日
文章力伸ばしたいからジャニーズJr.見習って週一でブログ書こうかな、、
— いときち (@sleep2102) 2021年5月22日
予定のない休日はベッドの上でYouTubeとTwitterとインスタを反復横跳びして1日を終える、そんな充実性からは程遠い場所に生きるわたしは、エンタメが大好きです。特にジャニーズが大好きです。
わたしのジャニーズへの思いを分解すると、その大半を「あの人みたいになりたい」が占めているわけなんですよ。ジャニーズへの憧れがわたしを生へと突き動かしているのです。
ただ残念ながら四半世紀生きてしまい、年齢的にジャニーズにはもう入れない…。性別もビジュアルも無視します。ネックなのは年齢だけ。
まあ正味中身はジャニーズに向いてると思う。胸キュン言えないタイプのJr.だけど。普段おちゃらけてるクセにクリエのソロコーナーで突然『名脇役』を歌ってオタクを狩りまくりたいです(希望)。
ではわたしは本当にジャニーズになれないのか?
何か方法はないのか?
アホ面のわたし「そうだ!週1でブログを更新しよう!」
半ばこじつけであることは重々承知しているが、わたしなりに「こ〜れはジャニーズJr.ですね‼️」と納得している。ジャニーズみたいに充実した1日過ごせそうだし(ジャニーズ舐めんな)。
週1で無理にも本ブログを更新することで、ジャニーズの疑似体験が出来るし、何より思考のアウトプット能力を鍛えることができる。なんてお得なんだ。
そんなわけでわたしは今日から、毎週日曜にブログを更新しようと思う。ジャニーズと違って誰からも更新を望まれていませんが、いや、わたし自身が更新を望んでいます。
明言しますがこれはわたしによるわたしのためのブログです。
今や多くの人がブログという言葉を使わないため、なんだか恥ずかしい気がしますが、そんな恥ずかしいなんて思っちゃダメだよわたし!ジャニーズなんだから!!(???)
やっぱり考えがごちゃごちゃしてるから上記の文章で何が伝えたいのか分からん。よくある方法でまとめとくね。
いかがでしたでしょうか?今回の記事のまとめをします。
- ジャニーズになりたい
- 文章上手くなりたい
- 休日になにかしたい
- 以上3つの理由から本ブログの毎週日曜更新を開始します
来週から何かしらの発信を頑張っていく所存です。とりあえずは続けられたらいいなあ。
以上、ジャニーズ宣言=ブログ更新宣言でした。
滝沢歌舞伎ZEROマジパねぇ
このブログのタイトルは「言葉にできない」である。
由来は、わたしがその名の通り文章にしたい想いはあるものの、実際書くとなると書けないところから来ている。あと小田和正が好き。
名は体を表すとはよく言ったもので(?)、ご覧の通りはてブロを立ち上げたものの、書いた記事はたった1つ。
死ぬほど書かないこのはてブロの2つ目の記事に書くのは、猪狩蒼弥でもHiHi Jetsでも、戸塚祥太でもA.B.C-Zでもなく、『滝沢歌舞伎ZERO』の事であるのは、誰も知る由がなかっただろう。誰も知ろうとしてなかっただろうけど言わせてコレ。
すの担でない女が『滝沢歌舞伎ZERO』を観てきた話をします。
冒頭にもありましたが、わたしは想いを上手く言葉にすることができません。
考えに考え抜いた結果、この記事のタイトルは「滝沢歌舞伎マジパねぇ」です。語彙力の乏しさに涙が出る。
ここまで思考がまとまってないのに何かに書かなきゃやってけないほどパねぇものを観ました。
いやこれほんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんとに凄かった。
以下ネタバレなしでお送りします。
すの担でない女が『滝沢歌舞伎ZERO』を観た話
無理だ。書けない。
まじで凄かったのに、言葉にできないよママ……。
この拙さからその熱さを感じ取ってほしい……。
アイドルっていうのは物語性が重要だという話を聞いたことがある。
成長過程をファンと共に共有することがアイドルをアイドルたらしめる、ということだ。
前述の通りわたしは他担で、Snow Manに対しては「がんばってほしいなぁ…」としか思ってなかった。
でもジャニオタだからROTは見てた。
そこでひーくんがたしか「お客様に熱を伝えたい」(ニュアンス)って言ってたと思う。
最初にそれを聞いたときの感想は、正直、ない。
ふーんとしか思ってなかった。
熱ってなに?とも思わなかったし、本当に気に止めない一言だった。
結論からいうと、『滝沢歌舞伎ZERO』は熱がまじで凄かった。いや、まじで。
CMかのごとくオススメ文章をオウム返ししてるようにしか見えないのは自分でも分かってるんだが本当にすごいんだって!!!!!!!!!!!
それはたぶん、アイドルの物語性をまじまじと見せられたからだと思う。
変革の時期にあるSnow Manはそれぞれが新たなSnow Manを作り出そうと試行錯誤している、簡単に言えばめっちゃ頑張ってる。
通常とは異なる状況に置かれて、そこからどう踏み出していくかっていうのもアイドル性の高い状況らしいのだが、それを乗り越えようと必死になっているSnow Manが発したのは、本当に「熱」だった。
冷静になって考えてみると、なんでアイドルはあんなにも身を削るんだろう、と思う。
なんで太鼓をやるのにわざわざ腹筋使って、体力をめちゃくちゃ消耗させなきゃいけないんだって思う。
なんでそこまでしてまでやるのって思う。
お客であるわたしたちが存在することは、あれほどまでに体力を使うパフォーマンスへの対価として、果たして相応しいのかとさえ思う。
『滝沢歌舞伎ZERO』はエンターテイメント性に富みすぎているあまり、エンターテイメントそのものの意味さえ分からなくなってしまう。
彼らが伝えようとしている「熱」ってなんなんだろう。
伝わってきた「熱」はなんだったんだろう。
「熱」を受け取ったわたしは、一体何をすればいいのだろう。
彼らが本当に真剣にエンターテイメントと向き合ってきたことが伝わってきた。
そこまで真剣に向き合うエンターテイメントとは一体何なんだろうか。
今日感じ取った「熱」はあまりにも熱すぎて、凡人であるわたしは、こんなタイトルでしか感想を書くことができないのだ。
担降りないブログ――「担当」に関する持論
あれだけ書く書く、と言っといて予告もしなかった初はてブがこれである。
とりあえずメモにキモイ文量を溜めてあるので、いつか解放したいと思います。いつかね。
あと全っっっっっ然文章まとまってないけど、書いてしまったので誰のことも考えず記事公開します。
最初に言っておきます。絵に書いたような駄文です。
薄々お気づきかもしれませんが、わたしは戸塚くんと猪狩さんの掛け持ちでやっていきたいと思います…以後お見知りおきを…
— く ぱ ち ― (@sleep2102) 2018年8月16日
わたしのTwitterを読んでいただいてる方はお察しかもしれませんが、新しい担当ができました。
こうしてよくはじまるのが所謂「担降りブログ」。
しかし残念ながら、わたしは優柔不断で、さらにチキンです。
新しい担当に相当な熱量を注ぎながらも、今まで担当してきた人を降りることができないのである。
だから多くの人が「担降りブログ」を書く中、わたしは敢えて「担降りないブログ」を書くことで、自分の中での"担当"の認識の再確認と、これからも"担当"を続けるよ!!!という意思表示並びに宣言とさせていただきたいと思いますので、ここまで読んでいただいた方、よろしければお付き合いいただければと思います。
あと自分語り大好きな人間なんでご承知おきください。
担当遍歴
"担当"とはなんたるかを考える前に自己紹介がてら私の担当遍歴についてお話ししたいと思います。
これはジャニーズでの担当遍歴であり、わたしという人間の形成の過程です(?)
嵐・二宮和也
ジャニオタの一歩を踏み出したのは嵐・二宮和也氏の存在があったからだ。
2007年春に友達が学校に持ってきたLove so sweetのCD。
「この中で誰が一番かっこいいと思う?」というささやかな話題程度にしかならないその会話で「この人」とわたしが指差したのは二宮和也と言う人だった。
以来、反抗期・中二病・ギャル期()等を二宮和也と共に過ごした。
降りたのは2016年くらいだったかな。
もうジャニオタなら耳が腐るほど聞いた台詞かもひれないが、「もうわたしが応援しなくてもいいかな」って思った。
「絶対トップになろうね」と泣いていた彼らはもういない。何故なら本当にトップになったからだ。
だからと言って、つまらくなった、とか、価値がなくなった、とか、そういう訳ではない。
トップになった彼らは以前とは違う輝きを放ち、さらに魅力を増していたと思う。
当時のわたしが嵐を応援する意味はなかった。見い出してなかった。ただ好きだから応援していた。でも降りた理由から察するに、自分が応援して意味のある"何か"が欲しかったのかも知れない。
A.B.C-Z・戸塚祥太
あっという間だった。
友達に誘われて行った初演JWで、彼から目が離せなくなった。
掛け持ちなど経験したことのないわたしは(別に嫌いだったわけではないが)やはり一途であることは大切だと思っていた。しかし抑えきれない戸塚くんの魅力に、翌日には掛け持ち/自担宣言を発令していた。
完成されたお顔とは裏腹に、グループそのものは未完成だった。そこがまた応援したくなる理由だったのかもしれない。
アットホームな現場でメンバーもファンも優しい空間。「ドームに行きたい」「売れたい」と目標を掲げ、一緒に行こうと言ってくれる気概にさらに好きになった。
この人たちを応援して、一緒に5万5千人の世界を見たい、その気持ちが、今のわたしをA.B.C-Z担たらしめていると思う。
HiHi Jets・猪狩蒼弥
猪狩蒼弥くんへのときめきが未だに止まらず加速度増すばかりクレイジーアクセ~~~~ル!!!!ベイベッベイベ~~~~!!!!!!
— く ぱ ち ― (@sleep2102) 2018年8月25日
このザマである。
免許も持てない年齢なのになんでこんなに胸がトキメクのでしょう。
たった先月、先々月のお話ですが、なぜか猪狩くんの沼にどっっっっっぷりと。
「チケット余ったから一緒にいこう」と呼ばれたクリエ、汗ばみはじめた5月。
えびもこれも、全部友達のせいだ…なぜわたしを誘うんだ…こんな沼にぶっこんどいて…。
一番最初に感じたHiHi Jetsの魅力は、たぶん雑誌でも本人たち言ってたけど、誰でもセンターになり得る全員の存在感。
わたしはそれを「まるで嵐みたいだ」と感じた。
実際嵐もセンターを決めずにここまでやってきた(2007年からのオタクなのでそれ以前には詳しくないがあくまでわたしの体感)。
明確に際立った個性とそれを活かしたダンスや構成、しかしどこか発展途上の感じがあるライブ。
「アイドル」に必要なのは「成長過程」とファンと共に行う「約束」である、と前に本で読んだ。
えびにも同じことが言えるかもしれない。でもHiHi Jetsにもそれは言えることだった。
結成わずかで自己紹介ラップ(#だぁ~くねすどらごん)(超絶天才猪狩)を作り、「ずっと5人でいる」と言ってくれた。
彼らは(ほぼ)まだ高校生だ。永遠があると信じて疑わない。
永遠なんてない、と知ってしまった年齢だからこそ、彼らの若さや無謀さの輝きから目が離せず、「ずっと5人でいる」というその言葉を信じてみたくなったのかもしれない。
"担当"論
正直、わたしは今はちゃめちゃにハイハイに沸いている。マジで。マジで。
ふとした瞬間に出る言葉は「猪狩くん…」だし、疲れた時に効くのはリポDでもオロCでもなくハイチューブだし、ハイハイ単独EXに行った直後は食欲がほとんど湧かなかった。幸せって空腹を満たすことができるんだと知った。
HiHi Jetsのコンサートは本当に楽しかった。
最近感じてなかったコンサート前日の寝れなさであったり、開始直前のドキドキであったり、公演中の心からの楽しさがサマステにはあった。
じゃあここまで言うならえびを降りようとは考えなかったのか?
実はちょっとだけ考えました。
コンサートのドキドキやワクワクはもうない。終わったあとに「楽しかった」と一言呟けば、脳が勝手にそれまでの体験を「楽しかった」と認識してくれるような気がしたから、実際楽しかったかどうかは(この場合の「実際」はどこに"掛かる"んだろうね)もはや自分でも分からないようになっていた。
自分の中でもA.B.C-Zに対してもどかしさであったり、口うるさいババアみたいになっているところもあった。
詰まるところ、「楽しさ」だけを求めるなら圧倒的にHiHi Jetsである。
わたしの中での「担当」はある程度の義務感をもってしてもお金を出すことを厭わない存在だ。
コンテンツの面白さは一旦置いておき、円盤が出たら買う、グッズが出たら買う、イベントをやるなら行く。
この記事をどれくらいの人が読んでくれるかわからないけど、非常に非難されるようなことを言っている自負はあるので安心してほしい。
ただ、「義務感」をもってまでしても応援したい存在である、ということだけご理解いただきたい。
嵐は、それまでリリースされていた円盤を全部買っていたが、買うのをやめた。そのことを当時わたしは「担降りする。茶の間に戻る。」と表現した。実際いまは嵐にお金はかけてない、けど、テレビは見てる。毎週録画はしてないが、気になるゲスト、嵐と絡むと面白そうなゲストが出ていたら録画するし、嵐のメンバーが出演するなら連ドラも全部追っている。
こんなことを言うのもアレだが、果てしなくラクだ。
ラクだけど、わたしの成長において大事な時期を嵐と一緒に過ごしただけあって、自分の中に嵐は染みついている。嵐は自分の核であるとさえ思う。嵐はこれからも大事な存在だし、これからも大好きで居続けると思う。
8月15日にA.B.C-Z Love Battle Tour東京国際フォーラムに参戦してきた。
その前週と前々週にサマステに行っていたこともあり、正直気持ちはハイハイでいっぱいだった。しかも席は2階の後ろから数えたほうが早いようなところ。
楽しめるか不安なまま行ったら楽しめるわけはない。
でもオタクっていうのは単純なもので、当日は普通に楽しみだったし、マジカルLOVEスティックを手にした瞬間、テンションは爆上がりした。
結論からいうと、やっぱりA.B.C-Zは最高だった。
ファンを愛してくれているのが伝わるし、レーザーの演出はかっこいい、テーマにあった構成が大好きなわたしはまさにドンピシャだったし、MCも安定感があって面白かった。
それまでメンバーが水を飲むとモニターで抜かれてオタクが「ギャーーーーー!??!?!?!」と叫ぶのが恒例化していたサマステに慣れていたわたしは、「水飲むね~」と言いモニターで自分を抜かせ、挙句とんでもない顔をして水を飲んでいた河合郁人さんととてつもないギャップを感じ、周囲の10倍は笑ってしまった。信じられないくらいブスだった(愛情表現)。
A.B.C-Zは大好きだ。でも嵐と違って茶の間に戻ることはできない、と考えている。それはお茶の間で見ることのできる番組が嵐ほど多くないからだ。
さらにいうと、たぶんわたしは「ファン」を辞めることはできない。ずっとその人たちのことが何かしらの形で好きだからだ。
茶の間になることもできない、ファンを辞めることもできない。でも、5万5千人の景色を一緒に見たい。出した結論は「担降りしない」であった。
「お金を出すことの義務感」はどこから出てくるのかは分からない。それが分かれば良いんだけどね。
ただわたしは、A.B.C-Zに対してまだその義務感を持っていたいと思う。
河合さんが「俺らのファンやってると悔しい思いをすることもあると思う」って前に言ってたけど、悪いけどほんとその通りだ。
でもだからこそ、こんな悔しい思いをしながら"担当"は辞められない。
おわりに
未練がましい女だから担降りはできなかった。別にしたかった訳でもないが。
「義務感」で応援を続けることに自分でも疑問を持つけど、その根底にある想いは「応援したい」という気持ちに他ならない。
HiHi Jetsは若い、可能性がある。
A.B.C-Zは若くはない。
だけど彼らがトップになるのを「ファン」としても見届けたい。その気持ちはどちらも一緒だ。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
丸2日書くのに時間かかりました()。
というわけで「こいつハイハイのほうが好きなんじゃね…?」と思う瞬間もあるかもしれませんが、これからも掛け持ちとしてやっていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
以上!!!!!!!!